アーメッド、ハンマーの共鳴性

サラ・アーメッド(藤高和輝(ふじたか・かずき)訳), 2022,「ハンマーの共鳴性」『現代思想』50(5): 90-106.

 

うまくいかないことによって、知ることが出来る。世界内存在としての私たち現存在は、そこにうまく住むことができないゆえにこそ、そこを知ることになる。居場所がないと、そこがどんなところだったのか分かる。排除されていなければ、知る必要なんてなく、ただそこに居るだけである。追い出されたと思ったから、追い出されるような場所だと分かる。

だから、居場所がないということは、マイナスなことのように思えるけれど、普通はプラスなことと思われるような教育、教わる経験である。

他の世界はないのだから、戦うしかなく、いろいろ考えが思いつく。こうすれば受け入れてもらえるのではないか。こうすれば少なくとも死なないのではないか。こうすればもっと楽に死ねる、もっと楽に生きられるのではないか。などなど。

我々が問われたときに、我々は世界を問う。死ぬかもしれない存在として問題にされたとき、死なないために、苦しまないために、世界がどうなっているのかを知らなければならない。

世界が問いになるとき、すべてが問われる。世界が何なのかと問われるときに、問われないものは何もなくなる。不安定になる。

たとえ、なじみのところでも、なじみがないところでも、説明は役立たず。

 

ハンマーの共鳴性におけるハンマーとは、問うことである。傷つけること全般ではない。問うことによって傷つけることにはなるが、問わずに傷つけることは含まないだろう。

 

サラ・アーメッドは、フェミニズムにおけるトランス排除の潮流に反対して、ハンマーの共鳴性という概念を提示することで連帯へのイメージを作り上げた。ハンマーとは、問うことの比喩である。ハンマーによって何かを壊すことができるように、問うことで何かを壊すことができる。他の人が抑圧的な制度を壊そうとその制度を問うている時に、つまり比喩的に言えばその他の人だけを通さない壁を壊そうとハンマーを振るっている時に、そのハンマーに身体が共鳴するように、その問いかけを素敵なものだと思って、その問いかけの近くに居ることでができるかもしれない。同じ問いかけをすることができるとは限らない。しかし、問いかけを支持することはできる。そのようにハンマーの共鳴性、つまり問いかけの近くに居ることを連帯のイメージとして提示したのである。

 

私たちの存在を壊すかもしれない。私たちの存在を削るものや壁を壊すかもしれない。

私たちは居場所をもたないとき、どこから来たのかと尋ねられたり、何者(who)なのかと尋ねられたりし、ひどいときには何(what)なのかと尋ねられさえする。ゴン、ゴン、ゴンーー私たちは経験する、私たちの存在に振り落とされるハンマーを。(90)