ベリー「燃やす鏡」

フィリッパ・ベリー「燃ゆす鏡:鏡の中のフェミニズム的啓示の逆説」

(Phillippa Berry, The Bruing Glass: Paradoxes of Feminist Revelation in Speculum. )

 

1

新しいフェミニスト哲学の始まりの声明としての『検鏡』を十分に理解できていない。イリガライは女性を男性の類似物の検鏡、鏡として使うことを批判している。イリガライ曰く、「男性的な自我が評価されるためにはそれとその価値を保証する鏡が必要になる。女は鏡像的他者の基礎となり、男にその像を与え返し、像を同じものとして繰り返す。女は同(鏡像)になり、母として同じものを反復させ違いを貶める」と。

 

表現
  • contempt for への侮蔑 act in complete contempt of rules 規則を完全に無視して行動する。

2

『検鏡』の燃ゆす鏡の両義的機能を評価する。

疑問

But the wider philosophical implications of this move, and the subtle way in which it intersects with yet significantly differs from both the writings of earlier Western thinkers and also those ofsome of the central protagonists of postmodern thought have yet, I believe, to be properly understood.

withの前置詞の目的語は何?

differの主語は何?

have yet to be understoodの主語は何?

表現
  • intersect with で交わる
  • fiery 火のような
  • miroir ardent 燃焼鏡

17世紀から18世紀にある凹面鏡を合わせて石炭の光を反射させて火をつける。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Miroir_ardent

 

3

イリガライは精神と物質の間の必然的相互関係の無理解につながる哲学的二元論を脱構築しようとする。女と火の精神とのつながりを調査する。

表現
  • interrelationship 相互関係
調査
  • 炎としての精神

さて、精神の二重性をめぐるハイデガーの言説は、1950 年代、彼の晩年にいたってさら に深化し、新たな展開をとげる。とくに『言葉への途上』に収められたトラークル論「詩 における言葉」において彼は、これまで肯定的に堅持されてきた精神の概念、つまり geistig なものとしての精神を、形而上学的・神学的領域へと追いやり、「geistlich(精神的・霊火 的)なもの」のうちに、精神の形而上学的ではない意味内実をみいだすにいたる。それは、 たとえばトラークルの最後の詩「グロデク(Grodek)」を解釈するなかで示されたように、 ドイツ語固有の源泉から生起する、炎としての精神という意義である。

 

……精神とは、燃えあがる炎(das Flammende)であり、炎として初めて、吹きつける風(ein Wehendes) である。トラークルは精神を、まずもってプネウマ(風、息)であると、spirituell に理解してい るのではない。そうではなく、燃えあがり、駆りたて、驚愕させ、度を失わせる炎と解したので ある。燃えあがる炎とは、白熱した輝きである。燃えあがる炎は、みずから光り、かつ輝かされ るところの脱自(Ausser-sich)であり、次々に舐めつくしていき、すべてを白い灰へと焼尽しう るような脱自である。(GA12, 56)

 

ここでは、始原にあって脱自的に外へと曝け出され、放出していく力動性それ自体が、 炎の動性としての精神(geistlich なもの)のうちにみてとられている(デリダはこの意味 での精神を l'esprit en-flamme と翻訳している28)。炎としての精神は、形而上学に属する geistig なものから明確に切断される。 ところでここで、炎としての精神が脱自として規定されていることから明らかに窺われ るように、ハイデガーが意図しているのは、根源的時間性として精神を解釈することであ る。たとえばトラークルの詩全体の中核をなす語とみなされた ein Fremdes(異郷的なもの) は、地上に留まり途上にあること、この意味で下降し没落(Untergang)しつつあること、 したがっていまだ地上で住まいを定めてはいないがゆえに余所者であり異郷的でありつ づけることといった意味を担っており、こうした意味での異郷性(移行性、没落性)が、 燃えあがる炎としての精神の動性に関連づけられているのである(古高ドイツ語 fram の語源的解釈にもとづく、vgl. GA12, 37)。またそれは、das Geistliche der Jahre(歳月の移り行 きが精神的・霊火的であること)、あるいは geistliche Dämmerung(精神的・霊火的な薄明)、 die Frühe(早い朝の時)といった詩句に示されている時間性でもある(vgl. GA12, 43ff.)。 さらにトラークルの詩「エリス」では、早逝した子供が形象化され、未生のもの(das Ungeborene)として歌われているが、この詩を解釈してハイデガーは、「朽ち果てた種族の 終末としての終末は、未だ生れぬ種族の始まりに先だっている」と述べ、根源的時間性の 解釈を提示している。つまり始原の到来に先だって、(現成するものの集摂 die Versammlung des Wesenden としての)既在のもの(Gewesenes)が、すなわち終末が、還帰するというこ とである(GA12, 53)。ハイデガーは、アリストテレス以来の形而上学的時間概念によって 隠されてきた根源的時間が、これらの詩句のうちに、なお護られていると考えるのである。

小林 信之, 2017, 「ハイデガー芸術論の射程―「対をなすもの」の問題系から―」 <

https://heideggerforum.main.jp/ej11data/Kobayashi2.pdf>

 

 

4

5

6

7(p. 233)

検鏡を直線的なものとして読むと、フロイトからプラトンまで辿っていくようなものに見える。プラトン的な、母的な起源に向かうかのように。しかし、検鏡においてイリガライが辿ってきたように見える後ろ向きの知的な運動は、ひとつの比喩的な下降でもある。その女の下降は、忘れられた他の女を求めるもので、西洋哲学において称賛されてきたあの「男の上昇」に対して反対し、それを少しパロディ化するものであるのだが、私が最も連想的に考えるところでは、デリダの書きものにおいて後になって明るみに出ることになる、主体性の地下室または墓地のイメージを先取りしてもいる。グラ、つまり弔いの鐘における隠されて知られていなかったlaを思いださせるのだ。イリガライがフロイトについての章で書くところによると、女は男に昇華する機会を与え、死の働きを支配する機会を与え、女は意識が認識することを拒む死の欲動の表象代理になる。イリガライは娘を使って、他の女と死に結び付けられた視角の危機の間の関係を描く。そして、不随意に他のものを鏡として映す、目(または私)の中心にある闇の点としての瞳孔、コレーを指す。(略)

表現

diachronic 通時的

predominantly 圧倒的に

suggestively 刺激的に

imagery イメージ

crypt  地下室、地下祭室

be later to inf 

surface 問題、秘密、怒り、事実などが表面化する、明るみに出る

knell 弔いの鐘 

involuntary 不随意の

疑問

隠されたlaとはなんでしょう?

 

8(p. 234)

炎は火と消し炭を連想させる。

表現

force open 押し開ける

cinder 消し炭

so and so だれそれ

late 故

departed 亡くなった

 

9(p. 234-5)

プラトンの洞窟の寓話の視角中心主義への批判としての下降運動。捨てたがる暗闇に注目する。

表現

scramble よじ登る

on one's head 逆立ちして

optics 光学

検討

For the optics ofTruth in its credibility no doubt, its unconditional  certainty, its passion for reason, has veiled or else destroyed the gaze  that remained mortal. With the result that it can no longer see anything  ofwhat had been before its conversion to the Father’s law. That everything foreign, other, outside its present certainties no longer appears to  the gaze. . . . Except—perhaps? sometimes?—the pain of being blinded in this way, of being no longer able to make out, imagine, feel, what  is going on behind the screen of those/his ideal projections, divine knowledge. Which cut him off from his relations with the earth, the mother, and any other (female) by that ascent towards an all-powerful intelligibility

信頼性における真実の光学系にとって、その無条件の確実性、理性への情熱は、死すべきままの視線を覆い隠すか、さもなければ破壊しました。 その結果、父の律法に改宗する前のことは何も見えなくなりました。 その現在の確実性の外側にある、異質なもの、他のもの、すべてがもはや目に見えないこと。 . . . 除いて—おそらく? このように目がくらみ、それら/彼の理想的な投影、神の知識のスクリーンの後ろで何が起こっているのかを理解し、想像し、感じることができなくなるという痛み. それは、全能の理解力への上昇によって、地球、母親、その他の(女性)との関係から彼を切り離しました

イリガライ、検鏡、362/453(日本語訳はグーグル翻訳)

 

10(p. 235)

フェミニスト哲学者は大地に埋められた女性的な暗闇=忘れられた母を再発見する必要がある。この暗闇によって表象が成立する。

表現

den 穴

11(p. 235)

凹面鏡(凹面concaveに洞窟caveがある)と火の関係を通じて家父長制の二項対立から逃れる女性性のとらえ難さを検鏡は強調する。太陽ではなく、内的に屈折した像、世界的表象の源を形づくる消えかけの火に注目させる。暗闇のなかでこそ火が際立つ。

表現

volatility 揮発性

refract 屈折される

smolderくすぶる、燃える

12(p. 235-6)

鏡だけでなく婦人科のイメージは、凹面鏡を差しこみ、他者性を表象する内部を見ようとすることを意味する。これらの技術は捨て去らない必要がある。

表現

gynecological 婦人科

hitherto 今まで、従来、

tilt傾き

疑問

In her separation of the other woman, not from the mother but rather from the restricted place of the mother allocated to woman in patriarchy, one of Irigaray’s key moves in Speculum is to turn the mirror that is “mother-matter” in upon itself, in
an act ofself-examination that also wittily exaggerates the circular orbit of the earth. 

(236)

試訳:母からではなく、家父長制において女に割り当てられた母の制限された場から女をイリガライが区別することにおいて、検鏡におけるイリガライの重要な動きの一つは、地球の円軌道をうまく強調してもいる自己検査の行為において「母=物質」であるような鏡を自分に向き変えること

疑問:turn the mirror that is “mother-matter” in upon itself?

 

13(p. 236-7)

フェミニスト的にずれること、または神秘的な始まりの方へ内向きに曲がっていくことをイリガライは強調していて、それは、哲学的思弁の忘れ去られた基盤なのだが、ハイデガーの転回に関係してそうだ。

表現

oblivion 忘却

radiance 輝き

14(p. 237)

クリステヴァと違って、イリガライは内向きへの転回を、娘の位置に置く

疑問

In her angling ofthe maternal mirror the dark place toward which she gestures, which the burning glass obliquely illuminates/inflames, is seemingly a location where woman might be asymmetrically “other” to the mother, as a daughter who does not have to
occupy the maternal place.

237

試訳:イリガライは母的な鏡を釣りあげることにおいて、イリガライがそれに向かって身振りをするような、そして燃ゆす鏡がヘンな感じで照らして燃やす闇の場所は、どうやら女が、母なる場所を占めなくてもいいような娘として母に対して非対称的に「他者」であるかもしれないような場所である。

疑問:angling? gesture toward?

表現

angling 釣り

 

15(p. 237-8)

イリガライの女の身体の火の比喩は、哲学的移行を人間的エロティックな経験に位置づける。ハイデガーの危険性を受け継ぎいているが、火と女を結び付けることで、同ではなく他と並べる。これは脱構築の一時的な場所である。

表現

revision 改訂

fulmination 激しい爆発

draw out 引き出す

tread 歩く

 

16(p. 238)

鏡の中ではなく鏡を通して他なる女を見る必要がある。受動的な反射性を拒否する。男の科学的な調査では道具の性質を恐れるが、フェミニスト哲学の調査的すんわち思弁的な言葉遣いでは検鏡は燃やす鏡である。ミミクリーによって伝統的哲学を屈折させる。そうすることで、女の欲望の火を拡大させる。

表現

magnify 拡大する

 

17(p. 238-9)

忘れられていた内なる火を再燃させることで、男の哲学を揺るがす。

表現

ember 残り火

rekindle 再び燃やす

 

18(p. 239)

検鏡から燃やす鏡へ転換する。ルネッサンスの文学では凹面鏡が女性を表象していた。火を精神として強調する。

表現

inflammatory 煽る

revelatory 啓示的な

contemplative 観想的な

just or upright 公正な

Renaissance emblem literature ルネッサンス寓意画集 (エンブレム・ブック - Wikipedia

John van Ruysbroeck(ジョン・ヴァン・ロイスブルーク):ベルギーの神秘家。キリストの花嫁となる神との合一を唱えた。

basin たらい

hast haveの三単現

pity あわれみ

shortcoming 欠点

 

19(p. 240)

燃える鏡を限定された知識の脱構築、エゴイズムの消耗と結び付けているイリガライ。ルネサンスの身体快楽の拒否ともあわず、瞑想の神秘の知についてのベギン会の運動の精神性とも異なっている。

表現

indebt に恩を受けている

Ark of the Covenant 契約の箱

untrammeled 制約されていない、拘束されていない、自由な

uncloister 修道院から解放する

Beguine ベギン会修道会

 

20(p. 240)

母の鏡に反射された父の光に照らされた他なる女。男の哲学者を真似ていない唯一の章が「神秘」。神学を真似する時の話。女が唯一主体と大文字の他者について話せるところ。

 

21(p. 241)

ロイスブルークの反フェミニストの立場に反対する。女の燃える鏡によって燃やされた場所から話す権利、場所と状態を別様に話す権利を主張する。

 

22(p. 241)

ポレテの作品をイリガライが参照している。否定神学心身二元論の否定。性的表現からの自由。

表現

heresy 異端

permissive 自由放任の

 

23(p. 241-2)

ポルテは神の火による魂の変形を強調している。闇をふらつき超える女性的な魂を強調する。すべての属性を脱がされた簡易性を強調する。神と同様に女性的な魂は表象の外にある。神との融合は、他なる女が失われるのではなく再発見される鏡のプロセスを通じた女の自分自身との再融合である。天使を精神と物質を媒介する新しい人間のアイデンティティとして使う。

表現

discern 識別する

transgress 境界を超える

wander ぶらつく

randomly ランダムに

tratise 論文

 

24(p. 242-3)

消失に向かう火でしか表せないイメージの女性的な起源。集立に反対する。二元的ではない知り方を模索する。

 

25(p. 243)

なることが問題。