バーク「修正される翻訳」

Carolyn Burke, "Translation Modified: Irigaray in English", 249-261.

1(249)

フレンチ・フェミニズムの書きものはエリート主義なだけではなく、そのような書きものが解明しようとしている諸理論によってかなり悪影響を受けているという懸念を乗り越えることは難しいと英語圏フェミニストたちは思っていた。イリガライのしようとしたパルレ・ファムではなくエクリチュール・フェミニンのほうに注意が集まっていた。

表現

piecemeal 少しずつ
contaminate 悪影響を及ぼす
demystify 解明する
bafflement 当惑

2(249-250)

イリガライの変化についていけない英語圏の読者。精神分析の伝統の批判と女に独特の言語の位置づけだけと考えられたいたから、パルレ・ファムについて考えられなかったし、イリガライがこの概念を超えて言説の性化を強調していることは気が付かれていなかった。

表現

take an interest in に興味を持つ
what become of はどうなるのか
savagely ひどく怒って、無作法に、どう猛に
prematurely 早まって
peculiar to に独特の

3(250)

性的差異を表象する可能性の調査の方法を強調するよりも、 素材に議論を限定してきた。

表現

mired in 困難な状況にはまった

4(250)

バトラーなどの位置づけにより、イリガライによる哲学再考が批判の他の仕方の基礎と考えられる。

疑問

Judith Butler, Elizabeth Grosz, Naomi Schor, and Margaret Whitford, among others, had begun to situate her writing in broader and deeper intellectual contexts, where her rethinking of philosophy could be seen as the ground of her other forms of critique. (250ページ三段落目の6行目)のher other forms of critiqueは、批判の他の仕方、つまり精神分析だけを批判したわけではない、ということ?

5(251)

書くことそのものに注意する必要がある。

表現

commission 任じる
forth-coming すぐ使える

6

翻訳では特有の表現法が消える

表現

idiosyncrasy 特異性

7

目的論的な順序を宙吊りにして統辞を放棄させるから、解説する。

表現

diagram図解する
parse 文法的に説明する
exasperation 憤激

8

イリガライはレヴィナスが他者を性的な存在として提示できないことを批判した。レヴィナスの愛撫についての考察は主体を男に、対象を女に割り当てる。

表現

intriguingly 興味深いことに
apparent 明白である
caress 愛撫

9(252)

エメとアマント(beloved)の区別をした。受動にたいする欲望の主体

表現

beloved 親愛な人たち(宗教)

10

『性的差異のエチカ』で、結論になることで、倫理が問題になる。性的差異の責任ある承認と、ダイアローグを組み合わせる愛的黄龍に位置づけられるアマント。ポジショナリティとエージェンシーを訂正する。female lover 愛する女と訳した。

11

なる、は、上り詰めるではなく、続いていく流れである。はてなをどうするか。

表現

optative 願望法

12

自己を愛するを言語で表せない。女の場合、移る場所であり運動であり、しかし移るものは含まない

13(253)

動詞の態も困る。絶え間なくリズムや大きさを探し求め、それ自身や他へのショートカットを探し求める別の動き。自分をその都度見つけ出すような話し方。目的論的な順序の代償を払っている。

表現

supple しなかやかな、

14

ダイアローグも精神分析的な意味から文化的なパラダイムとしての両性の「愛的交流」に変えられる。イリガライと男の哲学者との交流。性的差異の問を強制するため女の話し手に位置づける。無視される、「表面的な理性を支える幻想的組織化」

15(254)

英語圏の読者は引用の慣習を無視して、混ぜて書くことに困らされてきた。これは、女が二重の機能をもち、理論のコードに従わないから。また、引用への挑戦によって、両性の差異の何かが生じるかもしれない。前提を明るみに出す。

表現

vex 困らせる
mingle まぜる、つきあう
wager 賭ける
flout あざける

16

引用をイタリックにすることでダイアローグにすることで、メインテキストと同列に並ぶ。

表現

indentation ぎざぎざの刻み目をつけること

17

余白とかにも気を使っているが、主客、男女、内外の二項対立のあいだ、という三項目を出すだけでなく、「欲望があいだのスペースを占め、指し示す」エコノミーを提示する。注釈ではなく、ダイアローグの条件についての問いへの答えが求められると読者は思うかもしれない。

18

イリガライは、二人のあいだの承認においてこそ、未来の希望を見出した。あいだが指し示すのは、両性のあいだの敬意ありほれぼれするようで変わりゆくダイアローグである。
デイオティマはあいだにあるもの、無知と知のあいだの移行を可能にするものを強調していた。媒介としての愛。
メモ
一つの支配になりがちなペア

表現

tease out 苦労して引き出す
strand 脈略

19

「一般的に、空間をとることについてのこの形象は、「新しい」イリガライにとっての鍵の一つであり、そのイリガライの声は『性的差異のエチカ』において最もはっきりと現れている。その形象が前に出てくるのは、哲学的言語の後ろ盾が単語の「背後」にある物質性であるということをイリガライが思い出させてくれるときであり、それゆえイリガライが「記号のあいだで開くという絶え間ない実践」、つまり「記号と記号のあいだに肉を現れせしめること」を呼びかけるときである。また、その形象が機能するのは、イリガライが言語の身体化に対する無視された関係についてのこの見解に対応する散文を作り出そうとするときである。つまり、ディオティマのもののように、イリガライ自身のスタイルが「結び目を結ぶことなく言ったものと絡み合う」。特にイリガライが「中間的な領域、媒介、死すべきものと不死のあいだの永遠的な移行の時空間としての」愛の役割を喚起するときのことである。」

20

フランス語からイリガライ語へ、そしてイリガライ語から英語へ翻訳することで、背景となる物質性をちらりと見させる。

表現

of one's own accord ひとりでに
glimpse ちらっとみる
opaque 不透明体
strain to do

自(…しようと)筋肉[腱けんなど]を最大限に張りつめる≪to do≫;〈目・耳などが〉最大限に働く,いきむ
https://dictionary.goo.ne.jp/word/en/strain/

疑問

256ページ一段落目最後の行
テキストの文字は精神を真似しようとしている。(the letter of the text strains to imitate the spirit.)

21

ハイデガーのinstance デカルトのadmiration (wonder)
語源、物質的過去に開く

表現

Immediacy 近接性、即時性
awe 畏敬の念
in miniature小規模の
miniature
retraversal 再-横断

22

『性的差異のエチカ』では、関係を愛するスタイルと考え方のスタイルが重なっている。
言説の構造の分析と、新しいスタイルの創造は、人生に対する異なる規範を定めるために必要である。

23(p. 257)

それ以降は、言説の構造の分析に重点が置かれるようになったが初期の著作では何かを行うのではなく、何かのヴィジョンを認識する(spell out)預言者的声だった。翻訳はしやすくなったが、イリガライの本領はダイアローグと、二重のスタイルにある。

表現

voice を表明する
prophetic 預言者的な
deceptively 見かけによらず

Irigaray runs the risk of seeming more accessible, but at the expense of the subtlety of the analyses that preceded these recent books—on which their “lucidity” depends.
p. 257

24

言語などによって忘れ去られたものとしての原始的で還元不可能な性的差異がイリガライのメッセージである。女性ジェンダーが物質的なものつまり人間以下として放棄されたことによって、文明社会の袋小路に陥っている。性化された存在としての相互承認と、女性の主体の地位への到達可能性によってのみ、変革し得る。

表現

Chernobyl チェルノブイリ
set aside 取っておく、除外する
dereliction 放棄
salutary つらいが有益な
concomitant

疑問

What is this message, the urgency of which (particularly since Chernobyl) has caused Irigaray to set aside her work in language to speak about language, in the hope of reaching a wider audience?

試訳:そのメッセージのしつこさのせいで、より多くの聴衆に届くことを期待して、(特にチェルノブイリ以降)イリガライが言語の中での仕事を脇に置いて、言語について話すようになったこのメッセージは何でしょうか?
チェルノブイリ
しつこさのせいで、であっている?

25

両性の主体性を引き受けることが解決策である。聖書の失楽園が女性を受動性に追いやった。イリガライの言語についての著作はこの失楽園を取り消すことを目的としている。

表現

jubilation 歓喜

26(p. 258)

イリガライは神話を特定の時代の社会の秩序立てを表現していると考えている。文化的な不正義を言語で克服する。性的な解放は言語の変化を通じて起きる。

表現

come about 生じる

27

翻訳が言語の「あいだ」に漂うことならば、イリガライ的な力につながる。

表現

bring about 生じさせる
bring over 連れて行く

28(p. 259)

翻訳することでただよう独特の距離感をつくり、翻訳が可能性の領野を修正し翻訳が修正される。

表現

afloat 浮かんで
ether エーテル
mediative 仲介の
trance 忘我
mooring 係留

河野『新しい声を聞くぼくたち』

河野真太郎(こうの・しんたろう), 2022, 『新しい声を聞くぼくたち』講談社.

bookclub.kodansha.co.jp

 

読書メモです。細かい点の指摘で、議論の大筋を否定しているわけではないのでご注意ください。

全体の評価

とりあえず多くの作品を並べて分析していく手腕は流石であった。同時に仕方ないとはいえ、特に読んだことがある作品の読み方に説得力を感じなかった。ただし、間違っているとも思わないので、字数制限の問題に過ぎないかもしれない。それよりも気になるのは、障害と同性愛の雑な扱い方である。障害の社会モデルをジェンダーの社会的構築の方に寄って解釈しすぎて、障害の社会モデルを収奪しすぎていると思う。新自由主義による社会モデルの収奪を論じているが、河野(こうの)本人が健常者的に収奪しているので、むしろ新自由主義の免責(河野(こうの)の収奪の仕方と比べたら、新自由主義の収奪のほうが、まだましと言えさえする)に繋がってしまう。規範からの性的な逸脱とされるものを全て、同性愛に結びつけ過ぎだとも思う。種が異なる者同士の性関係を同性愛に結び付けて語るには、日本語で書くならばもっと丁寧に説明するべきだっただろう。また、BEASTARS(びーすたーず)の記述では異性愛関係を前提としたような論理展開になっており、これは流石に作品や文化の問題には出来ないだろう。作者の論述の問題に思えた。これらの問題は、もしかしたらクィアやクリップの意義を二項対立の脱構築に限定かつ遷移させてしまったところにもつながっているかもしれない。そもそもクィアやクリップの意義は二項対立の脱構築ではなかったし、二項対立の脱構築だけでもなかった。しかし、クィアでもクリップでもないかもしれない筆者にとって大事なのは、健常者への影響や異性愛者(ここでシスジェンダーなどの観点はおそらく落ちている)への影響ばかりを考えているように見える。「みんなクィアやクリップ」という方向にもっていって、クィアやクリップの意義を収奪しているとも読める。というよりそのように感じた。

 

ちなみに、収奪という言葉は、河野(こうの)が使っている。

この解放的であったはずの思想が、新自由主義的な「障害者のワークフェア」体制において収奪され、インペアメントとディスアビリティを就労可能性によって二枚舌的に切り分ける新たな「健常者主義(ableism)」に帰結している

河野真太郎(こうの・しんたろう), 2022, 186-7.

 

脱構築

クィアやクリップは時には二項対立を脱構築してきた。しかし、それはそれらの本質ではないと考える。クィアセクシュアリティ(とジェンダー)のはなしであり、クリップは障害のはなしである。クィアは元々ゲイ男性への侮蔑語だったのであり、クリップは障害者への侮蔑語だったのである。劣位に置かれた者たちが、その劣位に置く行為を問い直すために使っていた、というのが出発点である。問い直しのなかで、二項対立を脱構築するかもしれない。しかし、それには限らない。二項対立を脱構築しないなら、アイデンティティの用語を使えばいいと考えるかもしれない。つまり、ゲイやレズビアンバイセクシュアル(とトランス)、または障害者、身体障害者知的障害者精神障害者という用語をつかって議論すればいいと考えるかもしれない。しかし、クィアやクリップについては他の意義もある。幅広い連帯を呼びかけることや、まさに劣位に置くことを問題にすることなどである。

 

醜さについて

つまり、男性の醜い身体と障害はどこかでゆるやかに接続されています。このゆるやかな接続は二重の意味で差別的であることを断っておきます。男性的身体を醜いものとすることだけではなく、障害者の身体を醜いものとするのですから。

河野真太郎(こうの・しんたろう), 2022, 033.

実はこの接続は二重ではなく三重の意味で差別的である。なぜなら、醜いことが劣位として考えられているからである。このような差別はルッキズムという名前さえついている。このことが指摘しないことは、河野真太郎(こうの・しんたろう)の議論にとっては特に問題ではないだろう。ただ、差別を捉えられていないというだけのことだ。

 

異性愛規範

これに対しては、「そのように読む(男性身体と「醜さ」という要素で接続していると読む)こと自体が差別的である」という反応がありそうです。これは、「女性が差別されていると考えること自体が差別的である」や、「ある職業が虐げられていると考えることが職業差別だ」という論理と同形です。個々の表現について、この批判が妥当である可能性は常に検討せねばなりませんが、逆に、この論理が社会に実際に存在することに対する恫喝のようになってしまっても問題でしょう。

河野真太郎(こうの・しんたろう), 2022, 033-4.

引用で主張されている通り、差別的な読解かどうかは個々の表現について検討しなければいけない。

さて、河野(こうの)はBEASTARS』(びーすたーず)について次のように述べる。

食べる行為とセックスの区別がつかないとすると、そのセックスは必ずしも異性間のものとは限らなくなるからです。

河野真太郎(こうの・しんたろう), 2022, 100.

セックスは食べる行為と区別がつかなくとも、異性間のものには限らない。このように述べることで河野(こうの)はこの作品に「同性愛嫌悪的な構造」(100)があることを検討することに至る。しかし、この順番は特に必然的なものでもない。単に食べることとセックスの区別のつかなさをレゴシのハルに対する態度から指摘して、リズがテムを食べることをどう読めばいいかを問い、ここに同性愛嫌悪的な構造があると論じることも可能だからである。もちろん、このような展開の違いによって、同性愛が「肯定的に導入されているのか、それとも否定的に導入されているのか」(100)という問いが出せなくなる、といえる。しかし、それと対比して入れるべき要素が上の引用の「…とすると、セックスは必ずしも異性間のものとは限らなくなる」という異性愛規範的な文章だとは思えない。

ここは、作品の読みですらない。問題なのは、河野(こうの)の文章だからだ。作品自体にセックスは異性間のものであるという前提があると河野(このう)が主張しているわけでもない。ということで、上で引用した再反論も意味がない。

 

障害の社会モデル

河野(こうの)はまず障害の社会モデルを説明し、インペアメントとディスアビリティの区別をセックスとジェンダーの区別と比較する。そして、『英国王のスピーチ』を分析していく。長くなるが引用する。

物語は、その序盤から、アルバート=ジョージ六世の吃音がインペアメントであるのか、それともディスアビリティであるのか、という問題設定を提示します。ライオネルはアルバートの吃音の原因を探るべく、彼の子供時代の記憶を語らせようとします。ずっと吃音だったと言うアルバートに対して、ライオネルはそれは違う、吃音は後天的なものだと言います。それに対して激高したアルバートが口走るのが、「これは私の吃音だ!(It's my stammer!)」という台詞なのです。

このやりとりは、吃音の先天性/後天性というよりもむしろ、インペアメントとしての、本質的アイデンティティとしての障害と、社会的なディスアビリティとしての障害という問題系を導入しています。実際、物語の後半で、父王が崩御した後にアルバートがライオネルに告白するところでは、吃音の原因は彼が左利きやX脚を矯正されたこと(また、乳母に虐待されたこと)でした。つまり、彼の吃音の原因は、左利きやX脚といったディスアビリティ(いずれも明確に社会的・文化的に「創造」された障害である)の矯正だったのです。少々遠回りの手続きを踏んでいますが、吃音は、ディスアビリティの否定という社会的原因によって引き起こされたディスアビリティなのです。現在の私たちならある程度当然だと思うでしょうが、左利きを私たちはもはや障害としてはとらえません。それはむしろ、「個性=差異」としてとらえられます。それは左利きが厳密な意味でのディスアビリティとしてとらえられていることを意味します。その「厳密な意味」においては右利きもディスアビリティなのですが、たとえばほとんどの鋏が右利き用であることによって、右利きはディスアビリティとして意識されなくなり、左利きが意識されるようになるということです。左利きやX脚の矯正は、ディスアビリティであるはずのものをインペアメントとみなして「治療」しようとすることなのです。

河野真太郎(こうの・しんたろう), 2022, 186-7.

このような記述は、インペアメントとディスアビリティの一般的な使い方とは異なる。河野(こうの)自身が指摘するように、この使い方はセックスとジェンダーの区別のような使い方である。ジェンダーでしかない属性、たとえば女性の家事労働への適正なるものをセックス、つまり自然なものとして考える、というような記述と似ている。

 

しかし、障害学などでは、「インペアメントが制度などによってディスアビリティにされる」というような記述が典型的である。目が悪いということはインペアメントだが、文字が小さいということによってディスアビリティになり、目の悪い人が不利な影響を受ける、というような議論が障害の文脈での基本的な使い方である。これらの概念を使う障害の社会モデルは飯野由里子(いいの・ゆりこ)の『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(清水晶子(しみず・あきこ)、ハン・トンヒョンとの共著)(2022)によると「障害者が経験する不利の原因を障害者の心身状態にではなく、社会の設計のされ方に見出そうとするもの」(9)である。

 

インペアメントとディスアビリティという概念は、なんらかのあり方が自然な構築されていないものか社会的に構築されたものかということを区別するものではない。ディスアビリティという概念はインペアメントと不利をつなげているのは社会の制度であるということを示すためのものである。問題なのは、目が悪いことではなくて、文字が小さいことである。問題なのは、どもることではなくて、またどもるようになった原因でもなくて、どもることが醜く悪いものであると考える人びとであり、スピーチをしなければいけないという状況である。(ちなみに、王制というのがそもそも王を特別扱いすることで民衆を差別する制度である。)そのように考えるのがディスアビリティという概念の基本的な使い方である。このように考えれば、新自由主義において求められる能力が変わり、障害者と健常者の線引きを変えたと言う議論もスムーズに展開できる。

 

もちろん、インペアメントとディスアビリティをセックスとジェンダーという概念のように使うことでうまい議論ができる可能性はある。しかし、それをするならば、そのことを明示する必要がある。なにせこの本は障害学の専門家に向けて書いている訳ではないのだから、これが一般的な使い方と勘違いさせてしまう可能性があるからである。さらに、このような無理な概念の使い方をする議論の利点もあまり分からない。インペアメントとディスアビリティを持ち出さなくても議論できそうでもある(面倒くさいので再構築するのは控えておく)。

 

 

作者はもっと自身の持っている偏見や前提を検討する必要があると思うが(もしそうではないなら、文章について意識した方がいいと思うが)、障害とセクシュアリティの問題を扱おうとしているという点は評価できる。

ベリー「燃やす鏡」

フィリッパ・ベリー「燃ゆす鏡:鏡の中のフェミニズム的啓示の逆説」

(Phillippa Berry, The Bruing Glass: Paradoxes of Feminist Revelation in Speculum. )

 

1

新しいフェミニスト哲学の始まりの声明としての『検鏡』を十分に理解できていない。イリガライは女性を男性の類似物の検鏡、鏡として使うことを批判している。イリガライ曰く、「男性的な自我が評価されるためにはそれとその価値を保証する鏡が必要になる。女は鏡像的他者の基礎となり、男にその像を与え返し、像を同じものとして繰り返す。女は同(鏡像)になり、母として同じものを反復させ違いを貶める」と。

 

表現
  • contempt for への侮蔑 act in complete contempt of rules 規則を完全に無視して行動する。

2

『検鏡』の燃ゆす鏡の両義的機能を評価する。

疑問

But the wider philosophical implications of this move, and the subtle way in which it intersects with yet significantly differs from both the writings of earlier Western thinkers and also those ofsome of the central protagonists of postmodern thought have yet, I believe, to be properly understood.

withの前置詞の目的語は何?

differの主語は何?

have yet to be understoodの主語は何?

表現
  • intersect with で交わる
  • fiery 火のような
  • miroir ardent 燃焼鏡

17世紀から18世紀にある凹面鏡を合わせて石炭の光を反射させて火をつける。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Miroir_ardent

 

3

イリガライは精神と物質の間の必然的相互関係の無理解につながる哲学的二元論を脱構築しようとする。女と火の精神とのつながりを調査する。

表現
  • interrelationship 相互関係
調査
  • 炎としての精神

さて、精神の二重性をめぐるハイデガーの言説は、1950 年代、彼の晩年にいたってさら に深化し、新たな展開をとげる。とくに『言葉への途上』に収められたトラークル論「詩 における言葉」において彼は、これまで肯定的に堅持されてきた精神の概念、つまり geistig なものとしての精神を、形而上学的・神学的領域へと追いやり、「geistlich(精神的・霊火 的)なもの」のうちに、精神の形而上学的ではない意味内実をみいだすにいたる。それは、 たとえばトラークルの最後の詩「グロデク(Grodek)」を解釈するなかで示されたように、 ドイツ語固有の源泉から生起する、炎としての精神という意義である。

 

……精神とは、燃えあがる炎(das Flammende)であり、炎として初めて、吹きつける風(ein Wehendes) である。トラークルは精神を、まずもってプネウマ(風、息)であると、spirituell に理解してい るのではない。そうではなく、燃えあがり、駆りたて、驚愕させ、度を失わせる炎と解したので ある。燃えあがる炎とは、白熱した輝きである。燃えあがる炎は、みずから光り、かつ輝かされ るところの脱自(Ausser-sich)であり、次々に舐めつくしていき、すべてを白い灰へと焼尽しう るような脱自である。(GA12, 56)

 

ここでは、始原にあって脱自的に外へと曝け出され、放出していく力動性それ自体が、 炎の動性としての精神(geistlich なもの)のうちにみてとられている(デリダはこの意味 での精神を l'esprit en-flamme と翻訳している28)。炎としての精神は、形而上学に属する geistig なものから明確に切断される。 ところでここで、炎としての精神が脱自として規定されていることから明らかに窺われ るように、ハイデガーが意図しているのは、根源的時間性として精神を解釈することであ る。たとえばトラークルの詩全体の中核をなす語とみなされた ein Fremdes(異郷的なもの) は、地上に留まり途上にあること、この意味で下降し没落(Untergang)しつつあること、 したがっていまだ地上で住まいを定めてはいないがゆえに余所者であり異郷的でありつ づけることといった意味を担っており、こうした意味での異郷性(移行性、没落性)が、 燃えあがる炎としての精神の動性に関連づけられているのである(古高ドイツ語 fram の語源的解釈にもとづく、vgl. GA12, 37)。またそれは、das Geistliche der Jahre(歳月の移り行 きが精神的・霊火的であること)、あるいは geistliche Dämmerung(精神的・霊火的な薄明)、 die Frühe(早い朝の時)といった詩句に示されている時間性でもある(vgl. GA12, 43ff.)。 さらにトラークルの詩「エリス」では、早逝した子供が形象化され、未生のもの(das Ungeborene)として歌われているが、この詩を解釈してハイデガーは、「朽ち果てた種族の 終末としての終末は、未だ生れぬ種族の始まりに先だっている」と述べ、根源的時間性の 解釈を提示している。つまり始原の到来に先だって、(現成するものの集摂 die Versammlung des Wesenden としての)既在のもの(Gewesenes)が、すなわち終末が、還帰するというこ とである(GA12, 53)。ハイデガーは、アリストテレス以来の形而上学的時間概念によって 隠されてきた根源的時間が、これらの詩句のうちに、なお護られていると考えるのである。

小林 信之, 2017, 「ハイデガー芸術論の射程―「対をなすもの」の問題系から―」 <

https://heideggerforum.main.jp/ej11data/Kobayashi2.pdf>

 

 

4

5

6

7(p. 233)

検鏡を直線的なものとして読むと、フロイトからプラトンまで辿っていくようなものに見える。プラトン的な、母的な起源に向かうかのように。しかし、検鏡においてイリガライが辿ってきたように見える後ろ向きの知的な運動は、ひとつの比喩的な下降でもある。その女の下降は、忘れられた他の女を求めるもので、西洋哲学において称賛されてきたあの「男の上昇」に対して反対し、それを少しパロディ化するものであるのだが、私が最も連想的に考えるところでは、デリダの書きものにおいて後になって明るみに出ることになる、主体性の地下室または墓地のイメージを先取りしてもいる。グラ、つまり弔いの鐘における隠されて知られていなかったlaを思いださせるのだ。イリガライがフロイトについての章で書くところによると、女は男に昇華する機会を与え、死の働きを支配する機会を与え、女は意識が認識することを拒む死の欲動の表象代理になる。イリガライは娘を使って、他の女と死に結び付けられた視角の危機の間の関係を描く。そして、不随意に他のものを鏡として映す、目(または私)の中心にある闇の点としての瞳孔、コレーを指す。(略)

表現

diachronic 通時的

predominantly 圧倒的に

suggestively 刺激的に

imagery イメージ

crypt  地下室、地下祭室

be later to inf 

surface 問題、秘密、怒り、事実などが表面化する、明るみに出る

knell 弔いの鐘 

involuntary 不随意の

疑問

隠されたlaとはなんでしょう?

 

8(p. 234)

炎は火と消し炭を連想させる。

表現

force open 押し開ける

cinder 消し炭

so and so だれそれ

late 故

departed 亡くなった

 

9(p. 234-5)

プラトンの洞窟の寓話の視角中心主義への批判としての下降運動。捨てたがる暗闇に注目する。

表現

scramble よじ登る

on one's head 逆立ちして

optics 光学

検討

For the optics ofTruth in its credibility no doubt, its unconditional  certainty, its passion for reason, has veiled or else destroyed the gaze  that remained mortal. With the result that it can no longer see anything  ofwhat had been before its conversion to the Father’s law. That everything foreign, other, outside its present certainties no longer appears to  the gaze. . . . Except—perhaps? sometimes?—the pain of being blinded in this way, of being no longer able to make out, imagine, feel, what  is going on behind the screen of those/his ideal projections, divine knowledge. Which cut him off from his relations with the earth, the mother, and any other (female) by that ascent towards an all-powerful intelligibility

信頼性における真実の光学系にとって、その無条件の確実性、理性への情熱は、死すべきままの視線を覆い隠すか、さもなければ破壊しました。 その結果、父の律法に改宗する前のことは何も見えなくなりました。 その現在の確実性の外側にある、異質なもの、他のもの、すべてがもはや目に見えないこと。 . . . 除いて—おそらく? このように目がくらみ、それら/彼の理想的な投影、神の知識のスクリーンの後ろで何が起こっているのかを理解し、想像し、感じることができなくなるという痛み. それは、全能の理解力への上昇によって、地球、母親、その他の(女性)との関係から彼を切り離しました

イリガライ、検鏡、362/453(日本語訳はグーグル翻訳)

 

10(p. 235)

フェミニスト哲学者は大地に埋められた女性的な暗闇=忘れられた母を再発見する必要がある。この暗闇によって表象が成立する。

表現

den 穴

11(p. 235)

凹面鏡(凹面concaveに洞窟caveがある)と火の関係を通じて家父長制の二項対立から逃れる女性性のとらえ難さを検鏡は強調する。太陽ではなく、内的に屈折した像、世界的表象の源を形づくる消えかけの火に注目させる。暗闇のなかでこそ火が際立つ。

表現

volatility 揮発性

refract 屈折される

smolderくすぶる、燃える

12(p. 235-6)

鏡だけでなく婦人科のイメージは、凹面鏡を差しこみ、他者性を表象する内部を見ようとすることを意味する。これらの技術は捨て去らない必要がある。

表現

gynecological 婦人科

hitherto 今まで、従来、

tilt傾き

疑問

In her separation of the other woman, not from the mother but rather from the restricted place of the mother allocated to woman in patriarchy, one of Irigaray’s key moves in Speculum is to turn the mirror that is “mother-matter” in upon itself, in
an act ofself-examination that also wittily exaggerates the circular orbit of the earth. 

(236)

試訳:母からではなく、家父長制において女に割り当てられた母の制限された場から女をイリガライが区別することにおいて、検鏡におけるイリガライの重要な動きの一つは、地球の円軌道をうまく強調してもいる自己検査の行為において「母=物質」であるような鏡を自分に向き変えること

疑問:turn the mirror that is “mother-matter” in upon itself?

 

13(p. 236-7)

フェミニスト的にずれること、または神秘的な始まりの方へ内向きに曲がっていくことをイリガライは強調していて、それは、哲学的思弁の忘れ去られた基盤なのだが、ハイデガーの転回に関係してそうだ。

表現

oblivion 忘却

radiance 輝き

14(p. 237)

クリステヴァと違って、イリガライは内向きへの転回を、娘の位置に置く

疑問

In her angling ofthe maternal mirror the dark place toward which she gestures, which the burning glass obliquely illuminates/inflames, is seemingly a location where woman might be asymmetrically “other” to the mother, as a daughter who does not have to
occupy the maternal place.

237

試訳:イリガライは母的な鏡を釣りあげることにおいて、イリガライがそれに向かって身振りをするような、そして燃ゆす鏡がヘンな感じで照らして燃やす闇の場所は、どうやら女が、母なる場所を占めなくてもいいような娘として母に対して非対称的に「他者」であるかもしれないような場所である。

疑問:angling? gesture toward?

表現

angling 釣り

 

15(p. 237-8)

イリガライの女の身体の火の比喩は、哲学的移行を人間的エロティックな経験に位置づける。ハイデガーの危険性を受け継ぎいているが、火と女を結び付けることで、同ではなく他と並べる。これは脱構築の一時的な場所である。

表現

revision 改訂

fulmination 激しい爆発

draw out 引き出す

tread 歩く

 

16(p. 238)

鏡の中ではなく鏡を通して他なる女を見る必要がある。受動的な反射性を拒否する。男の科学的な調査では道具の性質を恐れるが、フェミニスト哲学の調査的すんわち思弁的な言葉遣いでは検鏡は燃やす鏡である。ミミクリーによって伝統的哲学を屈折させる。そうすることで、女の欲望の火を拡大させる。

表現

magnify 拡大する

 

17(p. 238-9)

忘れられていた内なる火を再燃させることで、男の哲学を揺るがす。

表現

ember 残り火

rekindle 再び燃やす

 

18(p. 239)

検鏡から燃やす鏡へ転換する。ルネッサンスの文学では凹面鏡が女性を表象していた。火を精神として強調する。

表現

inflammatory 煽る

revelatory 啓示的な

contemplative 観想的な

just or upright 公正な

Renaissance emblem literature ルネッサンス寓意画集 (エンブレム・ブック - Wikipedia

John van Ruysbroeck(ジョン・ヴァン・ロイスブルーク):ベルギーの神秘家。キリストの花嫁となる神との合一を唱えた。

basin たらい

hast haveの三単現

pity あわれみ

shortcoming 欠点

 

19(p. 240)

燃える鏡を限定された知識の脱構築、エゴイズムの消耗と結び付けているイリガライ。ルネサンスの身体快楽の拒否ともあわず、瞑想の神秘の知についてのベギン会の運動の精神性とも異なっている。

表現

indebt に恩を受けている

Ark of the Covenant 契約の箱

untrammeled 制約されていない、拘束されていない、自由な

uncloister 修道院から解放する

Beguine ベギン会修道会

 

20(p. 240)

母の鏡に反射された父の光に照らされた他なる女。男の哲学者を真似ていない唯一の章が「神秘」。神学を真似する時の話。女が唯一主体と大文字の他者について話せるところ。

 

21(p. 241)

ロイスブルークの反フェミニストの立場に反対する。女の燃える鏡によって燃やされた場所から話す権利、場所と状態を別様に話す権利を主張する。

 

22(p. 241)

ポレテの作品をイリガライが参照している。否定神学心身二元論の否定。性的表現からの自由。

表現

heresy 異端

permissive 自由放任の

 

23(p. 241-2)

ポルテは神の火による魂の変形を強調している。闇をふらつき超える女性的な魂を強調する。すべての属性を脱がされた簡易性を強調する。神と同様に女性的な魂は表象の外にある。神との融合は、他なる女が失われるのではなく再発見される鏡のプロセスを通じた女の自分自身との再融合である。天使を精神と物質を媒介する新しい人間のアイデンティティとして使う。

表現

discern 識別する

transgress 境界を超える

wander ぶらつく

randomly ランダムに

tratise 論文

 

24(p. 242-3)

消失に向かう火でしか表せないイメージの女性的な起源。集立に反対する。二元的ではない知り方を模索する。

 

25(p. 243)

なることが問題。

 

雑多に気になる文献(7月)

樫村愛子(かしむら・あいこ), 1998, ラカン社会学入門――現代社会の危機における臨床社会学世織書房(せおりしょぼう).

樫村愛子(かしむら・あいこ), 2009, 『臨床社会学ならこう考える――生き延びるための理論と実践』青土社(せいどしゃ). 

加藤秀一(かとう・しゅういち), 1998,『性現象論――差異とセクシュアリティ社会学勁草書房(けいそうしょぼう).

北田暁大(きただ・あきひろ), 2018, 『社会制作の方法――社会は社会を創る、でもいかにして?』勁草書房(けいそうしょぼう). 

古川直子(ふるかわ・なおこ), 2016, 「セクシュアリティ概念の刷新に向けて
――S・フロイト精神分析の視点から――」https://doi.org/10.14989/doctor.k19391  

中河伸俊(なかがわ・のぶとし),2001a,「Is Constructionism Here to Stay」 中河伸俊 ・北澤毅 ・土井 隆義編 『社会構築主義スペクトラム』ナカニシヤ書房,3-24.

上野千鶴子(うえの・ちずこ)編, 2001, 『構築主義とは何か』勁草書房

平英美(たいら・ひでみ)、中河伸俊(なかがわ・のぶとし)編, 2006, 『[新版]構築主義社会学――実在論争を超えて』世界思想社(せかいしそうしゃ).

佐藤郁哉(さとう・いくや). 1992. 『フィールドワーク』 新曜社(しんようしゃ).

盛山和夫(もりやま・かずお), 2000, 『権力』東京大学出版会(とうきょうだいがくしゅっぱんかい)。

内田隆三(うちだ・りゅうぞう), 1980, 「〈構造主義〉以後の社会学的課題」『思想』676, 48-70.

佐藤健二(さとう・けんじ), 2001,『歴史社会学の作法』岩波書 店。

 

性別二元制

ジェンダー法学会編, 2012,『講座 ジェンダーと法 第4巻 ジェンダー法学が切り拓く展望』

飯田貴子・熊安貴美江・來田享子編, 2018,『よくわかるスポーツとジェンダー

橋本秀雄・花立都世司・島津威雄編著, 2003,『性を再考する   性の多様性概論』青弓社(せいきゅうしゃ).

赤杉康伸ら編著『同性パートナー?同性婚・DP法を知るために』

春日直樹『現実批判の人類学』

池田久美子ほか『セクシュアルマイノリティ 同性愛、性同一性障害インターセックスの当事者が語る人間の多様な性』

伏見『欲望問題』(https://www.pot.co.jp/fushimi/%E3%80%8E%E6%AC%B2%E6%9C%9B%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%8F%E4%B8%80%E9%83%A8%E5%85%AC%E9%96%8B-%EF%BC%92.html

松浦『LGBT不都合な真実活動家の言葉を100%妄信するマスコミ報道は公共的か』

https://ch-gender.jp/wp/

佐倉智美『性別解体新書』

本田隆浩「カナダにおける性別二元制への挑戦 : 出生証明書の性別変更制度を素材として (井上彰先生古稀記念論文集)」法学新報 / 中央大学法学会 [編] 126 (7・8), 247-268, 2020-01
中塚朋子(なかつか・ともこ), 2021,「ジェンダーとセックスの相克―『女性』への視座について」 患者・家族調査研究委員会編著『血友病の周辺女性に関する研究―中間報告書―』

『知らないでは済まされない! LGBT実務対応Q&A─職場・企業、社会生活、学校、家庭での解決指針』

『図解ポケットビジネスパーソンが知っておきたいLGBTQ+の基礎知識』2022

 

性別二分法
キングコングセオリー』

寺町晋哉『〈教師の人生〉と向き合うジェンダー教育実践』

『文藝 2021年冬季号』

チェ・スンボム、 金みんじょん『私は男でフェミニストです』

佐倉智美「女子高生になれなかった少年――ある性同一性障害者の青春時代」

 

 

 

アーメッド、ハンマーの共鳴性

サラ・アーメッド(藤高和輝(ふじたか・かずき)訳), 2022,「ハンマーの共鳴性」『現代思想』50(5): 90-106.

 

うまくいかないことによって、知ることが出来る。世界内存在としての私たち現存在は、そこにうまく住むことができないゆえにこそ、そこを知ることになる。居場所がないと、そこがどんなところだったのか分かる。排除されていなければ、知る必要なんてなく、ただそこに居るだけである。追い出されたと思ったから、追い出されるような場所だと分かる。

だから、居場所がないということは、マイナスなことのように思えるけれど、普通はプラスなことと思われるような教育、教わる経験である。

他の世界はないのだから、戦うしかなく、いろいろ考えが思いつく。こうすれば受け入れてもらえるのではないか。こうすれば少なくとも死なないのではないか。こうすればもっと楽に死ねる、もっと楽に生きられるのではないか。などなど。

我々が問われたときに、我々は世界を問う。死ぬかもしれない存在として問題にされたとき、死なないために、苦しまないために、世界がどうなっているのかを知らなければならない。

世界が問いになるとき、すべてが問われる。世界が何なのかと問われるときに、問われないものは何もなくなる。不安定になる。

たとえ、なじみのところでも、なじみがないところでも、説明は役立たず。

 

ハンマーの共鳴性におけるハンマーとは、問うことである。傷つけること全般ではない。問うことによって傷つけることにはなるが、問わずに傷つけることは含まないだろう。

 

サラ・アーメッドは、フェミニズムにおけるトランス排除の潮流に反対して、ハンマーの共鳴性という概念を提示することで連帯へのイメージを作り上げた。ハンマーとは、問うことの比喩である。ハンマーによって何かを壊すことができるように、問うことで何かを壊すことができる。他の人が抑圧的な制度を壊そうとその制度を問うている時に、つまり比喩的に言えばその他の人だけを通さない壁を壊そうとハンマーを振るっている時に、そのハンマーに身体が共鳴するように、その問いかけを素敵なものだと思って、その問いかけの近くに居ることでができるかもしれない。同じ問いかけをすることができるとは限らない。しかし、問いかけを支持することはできる。そのようにハンマーの共鳴性、つまり問いかけの近くに居ることを連帯のイメージとして提示したのである。

 

私たちの存在を壊すかもしれない。私たちの存在を削るものや壁を壊すかもしれない。

私たちは居場所をもたないとき、どこから来たのかと尋ねられたり、何者(who)なのかと尋ねられたりし、ひどいときには何(what)なのかと尋ねられさえする。ゴン、ゴン、ゴンーー私たちは経験する、私たちの存在に振り落とされるハンマーを。(90)

グー、リュスイリガライ対中性のユートピア

Jean-Joseph Goux, Luce Irigaray versus the utopia of the neutral sex

ジャン=ジョセフ・クロード・グー

(感想:微妙な文章だったので、読むのを途中で止めた。)

 

1943年、フランスに生まれる。ソルボンヌの哲学・文学・人文科学博士。現在、アメリカヒューストンのライス大学教授。経済学、哲学、精神分析、美学など複数の研究領域で分野横断的に活躍している。アメリカ各地の大学やパリのユネスコで講演を行ない、パリの国際コレージュのプログラム・ディレクターも務めた。『批評』『テル・ケル』『アンフィニ』『エスプリ』などの各誌で多数の論文を発表している
哲学者エディプス ヨーロッパ的思考の根源 叢書・ウニベルシタス』より

https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC_200000000099753/

フランス(Anatole France)
ふらんす
Anatole France
(1844―1924)

フランスの小説家、批評家。…高踏派の影響の下に『黄金詩集』(1873)、劇詩『コリントの婚礼』(1876)を書く。…小説家としての出世作は『シルベストル・ボナールの罪』(1881)で、当時流行の自然主義文学の解毒剤として評価された。その後の作品には『タイス』(1890)、『赤い百合(ゆり)』(1894)、『エピクロスの園』(1895)、短編集『バルタザール』(1889)、『螺鈿(らでん)の手箱』(1892)など。『タイス』は娼婦(しょうふ)タイスの救済を図る砂漠の修道僧が逆に女色に迷って地獄に堕(お)ち、娼婦は悔悛(かいしゅん)して聖女になるというこの作者独得の皮肉な小説。『エピクロスの園』は作者の思想を端的に伝える随想集。これらの作品に示されるフランスの人となりは「瞑想(めいそう)の饗宴(きょうえん)」を楽しむ皮肉で寛容な懐疑主義者である。

しかし、19世紀末、フランスの世論を二つに分けたドレフュス事件が起こるや、ゾラとともにドレフュスの側にたち、事件に揺れる左右両派の対立抗争を風刺的に描いた『散歩道の楡(にれ)』『柳のマネキン人形』『紫水晶の指輪』『パリのベルジュレ氏』からなる四部作『現代史』(1896~1901)をはじめ、『クランクビーユ』(1902)、『白き石の上にて』(1905)、『ペンギンの島』(1908)などの文学活動を通じて社会参加(アンガージュマン)の姿勢をとり、ついには社会主義を支持する。しかしフランス革命を描く『神々は渇く』(1912)では革命の狂信批判を忘れてはいない。…

大塚幸男]〔おおつか・ゆきお〕

https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%28Anatole%20France%29-1586846

amply 十分に

be installed as…として、職務などに相応の手続きや儀式をもって、人が任命される、就任する

voucher: クーポン。

labour voucher: 

Labour vouchers (also known as labour cheques, labour notes, labour certificates and personal credit) are a device proposed to govern demand for goods in some models of socialism and to replace some of the tasks performed by currency under capitalism. https://en.wikipedia.org/wiki/Labour_voucher

intestine 腸

be still おとなしくしている

176

foreboding 予言、凶事の前兆、不吉な予感のする、虫の知らせの

prescience  未来を予測する力

clairvoyance 千里眼、透視、直感的明知

 

  • 両性の差異

incisive 鋭利な、刺すような、痛烈の、直截の (of an accout) accurate and sharply focused

head toward に向かってまっすぐ進む、(比喩的)

disquieting 不安にさせる、不穏な、物騒な

カベー かべー Étienne Cabet (1788―1856) フランスの初期共産主義者。カベともいう。シャルル10世の治下にカルボナリ党に加入し、1830年7月には革命運動に荷担した。1831年に議会に選出され、当初七月王政を支持していたが、1833年に雑誌『人民』を創刊し、共和主義を唱道して政府と対立するようになった。翌1834年、雑誌記事の責任を問われて懲役刑に処せられると、イギリスに亡命した。1839年に帰国し、トマス・モアのユートピア思想の影響がみられる理想的共産主義社会を描いた『イカリア旅行記』を著すとともに、雑誌『人民』を再刊して全国的に共産主義運動を広めた。1848年に二月革命が勃発(ぼっぱつ)すると、革命運動に挺身(ていしん)した。しかし運動は敗北し、反動化のなかで、同年末にイカリア主義者を募ってアメリカに渡った。テキサスとイリノイで彼らの夢想する共産主義社会を建設しようとしたが失敗に終わり、異国で失意のうちに没した。 [本池 立] 〔もといけ・りつ〕

https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%99%E3%83%BC-46365

 

 

slumbering ねむりこんだ

イリガライはジェンダーの中性化(Je tu nous)は、男性的な中性(le temps de la différence)であり、死に至らしめる危険があるといっている。

Sur la pierre blanche 『白き石の上にて』(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977027

  • 囲んでいる男たちの何人かが女であることに気が付く場面。

on closer inspection さらによく調べてみると

patiently 根気よく

ディオティマ:アンティネイアの巫女。プラトンの『饗宴』に登場する。

clinch 問題に決着をつける

contractor 請負人

tranquil 穏やかな

later on https://talking-english.net/later-on-later/

  1. あとで・後ほど・あとになって

    現時点よりも後のいつかにという意味です。副詞の later とほとんど同じ意味ですが、later が現時点を基準に「今より後」という表現なのに対して、later on は現時点より未来の「あるとき」を基準に、そこから何かが始まる/起こることを示唆するイディオムです。

https://eigory.com/word/en/later-on

 

177

foreshadow: to act as a warning or sign of a future event:前兆となる

extrapolation: the process of using information that is already known to guess or think about what might happen:

178

  • 小説を考えることで問題を扱える。そうなるだろうと考えられていたけど、今やそうは考えられていないような不安を示しているから。

uneasiness 不安

  • どういう風に古い偏見から近代の平等的な主張に移っていくかという不安。そこにイリガライを位置づける。
  • 支配の正当化

immutable 変わらない

decree 法令、天命

feeble 弱い

infinitesimal cogs 無限小の歯車

bow こうべをたれる

succumb 屈服する

resign 〔+目的語+to+(代)名詞〕[resign oneself で] 〔運命などを〕甘受する; あきらめて〔…〕する 《★また過去分詞で形容詞的に用いる; ⇒resigned 1b》. I resigned myself to my fate. 私は運命を甘受した.

mediocrity 凡庸さ

lowliness 卑しく重要でないこと

blaspheme 冒涜する

フェヌロン:フランスの宗教家。1651-1715。ユグノー派に対する寛容を説く。

 

179

  •  家父長制における女の扱われ方

nutshell 

① In a nutshell(ひと言で言えば)
In a nutshell, Japanese are hard workers.
ひと言で言うと、日本人は努力家なんです。

nutshellを直訳すると「木の実の殻」という意味です。
つまり「木の実の殻に入るほど小さく言うと」というニュアンスから、物事をコンパクトに伝える場合に用いられます。

https://www.e-miki.com/key-press/englishny/in_a_nutshell_1.html

  •  抑圧する力のフェヌロンと対抗するサルトル

suspicion 疑い、気付くこと?

put down 静める、鎮圧する

insurrection 暴動

 

intransigent 妥協しない

180

Poulain de la Barre

De l'égalité des deux sexes(1673)

日本語の解説については、粟野 広雅(1999)「Poulain de La BarreのDe l'egalite des deux sexes (『両性平等論』) について」(http://hdl.handle.net/10112/00017383) を参照のこと。特にプーラン・ド・ラ・バールに現代的意義があるとは思わないが、念のため。

 

  • 近代の終わり?
  • イリガライ「平等主義の主張は相手に加担してしまう。差異の時代だ。」

obliteration 抹消

apostle 伝道者

  • イリガライにとっての性差があるという事実は何ではないか。
  • 性差を肯定することは本質主義ではない。洗練させればいい。
  • 女になるとは、クリエイティブな価値である。
  • 平等主義では従属、男性的中性化になる。
  • 母娘の関係は同性から生まれるけれど、母息子関係は異性なので、女の系譜を考えないといけない。

183

  • 解放と平等の違い
  • 逃げるだけでなく女の間で話すすべを得る。男女の関係がうんぬん。性的差異に関する平等主義の夢への批判へ。
  • ボーヴォワールと逆をいくイリガライ

184

bastion とりで

  • 男の声で、「平等、でも違い」といっていたのにボーボワールは反対していた。
  • イリガライも同じことを別の意味で言う。全体主義への警告
  • 本の対立
  • ウルトラモダニティでは中性化へ
  • あらたなものをつくること

186

以下略。

ラトゥールをさぐるメモ

ラトゥールについてのメモです。情報の正確性は保証しません。

 

・ラトゥールについての文献

春日直樹(かすが・なおき)編 , 2011,『現実批判の人類学 —— 新世代のエスノグラフィへ』世界思想社 .

春日直樹(かすが・なおき), 2016,『科学と文化をつなぐ —— アナロジーという思考様式』東京大学出版会

 

久保明教(くぼ・あきのり)

http://anthropology.soc.hit-u.ac.jp/akinorikubo/

「人類にとってテクノロジーとはいかなるものであり/いかなるものでありうるか」をテーマとして、文化/社会人類学、科学技術論、記号論現代思想などの観点を交差させながら、ロボット開発/受容、AI技術/言説、家庭料理、デジタルゲームなどを対象とした研究を行っています。

非還元の原則:還元可能であることも還元不可能であることもない

「世界を制作=認識する――ブルーノ・ラトゥール×アルフレッド・ジェル」から

存在者同士の関係から、すべては物質かつ記号であるといえる。

アマゾンの森林研究によって世界から言語への一方向的な指示の否定が示される。

パストゥールの乳酸発酵素の報告において、不在、感覚、「行為の名前(a name of action)」、行為の源泉と移っていく

全体の暫定的確定という問題

 

・松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

http://www.cc.okayama-u.ac.jp/~kmatsu/

・ラトゥールと社会学

三上剛史(みかみ・たけし), 2019, 「「社会」の学とアクター・ネットワーク理論― モナドジーとモノの理論 ―」追手門学院大学社会学部紀要13: 11-29. 

https://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/402/402190302.pdf

ルーマンのシステム論でむすびつけられるのではないかという仮説。

 

ギギ・ファビオ, 2011, 「行為者としての「モノ」──エージェンシーの概念の拡張に関する一考察──」同志社社会学研究15: 1-12. 

https://eprints.soas.ac.uk/17996/1/Gygi%20Things%20as%20Actors%20Japanese.pdf

モノの行為を、それがなければ人がなにをするかで測れると考えるラトゥール。

 

加藤隆雄(かとう・たかお), 2021, 「ミクロ―マクロ問題を組み直す―ブリュノ・ラトゥールと ANT―」南山大学紀要『アカデミア』人文・自然科学編21: 75-90.  

https://eprints.soas.ac.uk/17996/1/Gygi%20Things%20as%20Actors%20Japanese.pdf

『社会的なものを組み直す』(2005)

ラトゥールはジンメルを継承して関係を扱う。

「ラトゥールは,「社会学を,「社会的なものの科学」と定義するのではなく,つながりをたどることと定義し直」し,「社会的」ということを「それ自体は社会的でない事物同士のある種の結びつき」と定義し直すのである。」(84)


以上 2022/7/7